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執筆者の写真誠大 佐々木

『感覚』

北海高校サッカー部2年の角田蓮です。

いつも北海高校サッカー部を応援、サポートしてくださりありがとうございます。


私はこれまでの人生で、多くの場面で感覚に頼って生きてきました。

悩んだら自分の感覚を信じて選択する。これを繰り返して生きてきました。道に迷った時には、スマホアプリのマップを使わずに、感覚で進んで行ったら3キロだった道が5キロ離れた地点まで行ってしまったこともあります。

そんな感覚は、サッカーにおいても同じで、小学校の時は、ただひたすらなにも考えず毎日ボールを追いかけていました。サッカーチームの練習以外の日も、学校から帰宅すると1人でグラウンドにドリブルしながら向かい、ひたすらボールを蹴る日々を過ごしました。当時はとにかくドリブルが大好きで、試合で2、3人かわしてシュートを決めることが自分の得意なプレーでした。そんな中でチームのコーチに、「ドリブルのコースを考えてからドリブルしなさい」とよくアドバイスをしてもらっていましたが、私は聞く耳を持たず、相変わらず感覚で相手を抜き去っていました。

中学に上がると、そんなドリブルは通用しなくなりました。悔しい想いもありましたが、様々な練習やゲームを通して、守備でボールを奪うことが得意であると気づき、その感覚を磨きました。そしてこれまでと変わらずまた「感覚」でボールを奪い「感覚」で攻撃するということを繰り返していました。当時のチームの監督から「考えてプレーしなさい」などとアドバイスをもらっていたのですが、あまりそこには目を向けることができず、相変わらず「感覚」でサッカーをしていました。


ですが、高校サッカーの舞台では感覚で生きていけなくなりました。

自分の「感覚サッカー」はなにも通用せず、頭を使ったサッカーを意識してこなかったせいで組織における攻撃力が極めて低いことに気づかされました。技術の部分においても、中学生まで感覚でできてると思っていたことが理論に基づいていないため、高校レベルでは改めて自分が下手くそであるということに気付かされました。

その「感覚」はサッカー以外も該当し、学業の面では、小学校や中学校時代のテストの選択問題などで、自分の感覚を信じてなんとなくでやっても当たっていたものが、高校になると、同じ選択問題でも感覚では小テストですら当たりません。

ここにおいてもやはり、常に「考えることが大事」、「感覚で生きていけるほど世界は甘くない」ことを学びました。


これらの経験から私は、考えることと感覚を合わせることが大事であると気がつきました。サッカーにおいては、自分の感覚でやったことに基づく成功体験も、それをよく考え言語化する作業を繰り返すことで自分のものとなり、この思考こそがサッカーがうまくなる上で必要なことだと思います。「感覚×考える」ことが自分がサッカーにおいても人生においても成長する上で最も大切だと信じています。


最後になりますが、私は感覚をすべての場面において捨てようとも思ってはいません。これからの人生において、自分に立ちはだかる苦難や選択を迫られたときは、ときに経験に基づいた自分の感覚が役に立つこともあるかもしれません。

みなさんもときには自身の感覚を大切にしてみてください。


ご拝読ありがとうございました。


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