遠入玄都 北海高校サッカー部2年の遠入玄都です。
いつも北海高校サッカー部を応援、サポートしてくださり、ありがとうございます。
私の地元は旭川市で、北海高校への入学と同時に下宿へと入居、先輩や同級生と助け合い、お互いに刺激を受け合いながら生活させていただいています。
元々、朝にかなり弱い私は、最近、寝坊の恐怖と格闘しながら、アラームを自衛隊の起床ラッパや、友人の声などにするなど、工夫して、毎朝必死にベッドから這いずり降りています。
本題に移りますが ふと、「俺ってサッカー始めたのいつだっけ。」「どうしてここまでサッカーを続けられてるんだろう。」 なんて考えることがあります。
思えば、小学校入学前からボールを蹴っていた私。きっかけは地元の高校でサッカー部の監督を務めている父の影響だったのでしょう。 小1で入団した隣の学校のサッカー少年団では、ボールよりもグラウンドの砂遊びに夢中だったのを覚えています。
しかし、そんな私にサッカーの楽しさ、ゴールキーパーという役割の楽しさを教えてくれたのは、当時の監督でした。
サッカーボールは固くて痛い。けれど、相手が苦労してゴールに蹴り込んで来たシュートを防ぐことの快感、それは何よりも変え難いものだと気づかせてくれた、当時の監督、コーチには今でも感謝しかありません。
中学では地元のクラブチームに入団ました。 そこで、北海高校サッカー部OBのGKコーチや元JリーガーのGKコーチと出会うことができ、ゴールキーパー以外にもサッカーというスポーツのいろはを教えていただきました。今思えば、あんなに丁寧にサッカーを教えてくれたコーチ方と巡り会うことができたのは、奇跡としか言いようがないと思います。
そこで完全にサッカーへのめり込み、更にレベルの高い高校サッカー界へ足を踏み入れることを決断しました。
正直言って、北海高校サッカー部の練習はハードです。 何回も壁にぶち当たり、砕け散りそうになりました。 でもそんな時に支えになったのは、北海高校の仲間、友人たち、 そして、 旭川で私を応援してくれている、両親や友人、多くの関わってくださった方々でした。
母から話を聞くのですが、母が私の友人や、友人の母などと会うと、私が「札幌で元気にやっているか」や「サッカーを頑張ってほしい」という旨の話に、決まってなるそうで、そのことを聞く度に 「頑張ろう」 「やるしかない」 という気持ちになれるのです。
小学校で別のチームなのにも関わらず、私を気にかけ、アドバイスをしてくださった、他チームの監督、 やんちゃ坊主だった私を変えてくれた中学の担任の先生、 こまめに仕送りをしてくれる、他県に住むおばあちゃん、 そして、サッカーがしたくて札幌に行くこと決めた私を全力でサポートしてくれている母、口には出さないけれど、こうして、サッカーを頑張ってほしいという気持ちの元、札幌へ送り出してくれた父も、私に関わってくれた全員が恩師なんだと思っています。
私はこの恩に報いるためにはサッカーしか方法が無いと思っています。絶対全国大会で勝つ。 私自身の夢のためもありますが、こうした私以外の人たちために報いるためにも、これからどんなに分厚い壁にぶち当たろうと、決して逃げず、「恩に報いたい」と思っています。
まだまだ人としてもサッカー選手としても未熟な私ですが、関わってくださった方々に誇って貰えるような素晴らしい人、サッカー選手になるべく、この先も努力を積み重ねていきます。 ご拝読ありがとうございました。
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